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- 2024/11/16
Mr.Jimmy's Gear Collection
世界的なジミー・ペイジ求道者としてワールドワイドに活躍しているジミー桜井。ペイジのサウンドを再現するために、できるだけ本人と同じ機材を使うというこだわりのギター・コレクションを紹介します。
高校生の頃に初めて聴いたジミー・ペイジのレッド・ツェッペリンに近づくために、ひたすら研究・分析。ジミー・ペイジになりきることでアイデンティティを確立した。磨いた腕を試すべく50歳にして楽器メーカーを脱サラし、単身渡米。ロサンゼルス随一のツェッペリン・トリビュート・バンドへの参加・脱退を経て、現在は自らのバンドMR.JIMMYを結成し、世界的なジミー・ペイジ求道者としてワールド・ワイドに活躍している。
その演奏はジミー・ペイジ本人からも認められ、現在はジェイソン・ボーナム(レッド・ツェッペリンのオリジナル・メンバーであるジョン・ボーナムの息子)のバンドの一員に大抜擢。フォリナー、ホワイトスネイクと共に全米ツアーを行なうなど、まさにアメリカン・ドリームを体現している。
本物を自分の手で触り、音を出し、自らの感覚で知っておくことはとても大事だ。ふさわしい楽器を持って、それが放つ本当の音を体感することで初めて、目指す音に近づくための一歩を踏み出せると僕は思っている。そう、「すべて楽器が教えてくれる」のだ。──── ジミー桜井
ジミー・ペイジを象徴するギターとして真っ先に思い浮かぶのが、レス・ポール・スタンダードだろう。1969年にジョー・ウォルシュから譲り受けた通称No.1、73年に導入したNo.2という2本の59年製サンバースト・モデルはあまりに有名だ(No.1は58年製との説もあるけれど、僕は59年製の線が濃厚だと思う)。特にNo.1はペイジ・サウンドの要であり、僕も同時期のレス・ポールを求めて97年に58年製を入手。それを1年ほど弾いたのちに出会ったのが59年製の本器で、ショップにてボディ&ネック以外の全パーツを先の58年製から移植してもらったうえで持ち替えた。
やや細身のネックゆえのシャープな音色傾向はまさにペイジを彷彿させるが、まだ何かニュアンスが違うということで、90年代末にはグリニングドッグと共同でピックアップの開発に着手、以降はそれを搭載している。そのMR.JIMMYピックアップはこれまでに十数回もバージョンアップを重ね、現時点ではかなりペイジのトーンに肉薄するところまで来た。さらにペグも本人にならってグローバーを装備し、エスカッションやコントロール・ノブは現場使用を考慮してDMC製に交換済みだ。日本での活動に際してはこのギターが僕のNo.1だが、アメリカでは2008年製リイシューが代役を担う。そちらもやはりMR.JIMMYピックアップを積み、ネックは本器と同様にリシェイプしている。
高校時代にレッド・ツェッペリンの音楽に衝撃を受けた僕は、当初はトーカイのレス・ポール・タイプLS60でコピーを開始。20歳の時に同じくトーカイの受注生産モデルLS200を購入し、長らくそれを弾いていた。本家ギブソンを手にするのはようやく30歳になる頃で、93年に新品として売られていたこの59年型リイシューを初期MR.JIMMYに投入、58年製サンバーストを使い始める97年までメインとして愛用した。
ギター工房のフリーダムカスタムギターリサーチによるボディ・トップのリシェイプ&リフィニッシュに加え、デルリン・ナットやブラス・サドル、DMCパーツの搭載など、ビンテージ路線のカスタマイズを多々施している他、ピックアップはグリニングドッグのMR.JIMMY仕様に換装。ペグはもちろんグローバーだが、ウェイトの軽い70年代製を取り付けているのがポイントで、本体重量を抑えられるうえに音色も若干ブライトになることで、ペイジに近い雰囲気を得られる。また、トーンの効きに関わるコンデンサはオールド・レス・ポールと同じバンブルビーというタイプに交換。トーンとボリュームのポットはCTSというメーカーのものに付け替えたうえで、内部のグリスをアルコールで洗い流して軽く回るようにしてある。ペイジ奏法を再現するにはピッキングしながら小指でツマミを操作する必要があり、そのためには軽くなくてはいけないのだ。
ペイジがこのようなメタリック・レッドのレス・ポールを使い始めたのは72年頃。サブ・ギターとしてセットするようになり、マディソン・スクエア・ガーデンを含む73年のツアーや77年のライブでは登場機会もあった。ペイジの所有器は68年製との説もあるが、僕は57年製のゴールドトップがリフィニッシュされたものだと思う。ツェッペリン解散後の88年には、ソロ名義でのアウトライダー・ツアーに際してBベンダー(B弦=2弦の音程を変化させる機構)が取り付けられた。
写真はそんなペイジのBベンダー付きモデルを再現した1本で、もとはボディ・トップにゲイリー・ムーアのサインが書かれた91年製サンバーストの中古品だった。それをフリーダムに持ち込み、ゴールドを吹いてからピンク系の塗料を重ねるというこだわりの手法で塗り直してもらったうえにBベンダーも装着してもらったのだが、これがかなりの大仕事。テイルピース付近からネック側ストラップ・ピンにわたって弦をベンドする装置を組み込むのだけれど、ピンの手前でピックアップ・セレクターと干渉するため、そこを迂回するためのパーツをいちから作らなくてはいけなかった。またペイジの音を聴く限り、No.1と共通するシャープさがあることから、ピックアップはやはりMR.JIMMY仕様に変更。日本用の本器に対して、アメリカでは同様のカラーにリフィニッシュされたトーカイ製レス・ポール・タイプを使用している。
93年製のEDS-1275を土台に、多くの部分をフリーダムにリメイクしてもらった特別仕様。こだわったのはボディの形状で、ペイジの個体に近づけるために新たにホンジュラス・マホガニーから削り出している。さらに2本のネックもペイジ・サウンドを得るために細身にアレンジし、ヘッド角度やグリップも作り替えた。ピックアップもグリニングドッグの専用タイプを積み、楽器本体と合わせて調整することで本人に迫るトーンに仕上げている。なお、ペイジはフェンダー・エレクトリックⅦで録った「天国への階段」をライブで演奏すべく71年にこの機種を導入したのだが、当時は市販されていなかったことから自らのオーダー、あるいはギブソンの提供によって手に入れたと考えられる。
写真では操作ノブがゴールド、6弦側のピックアップ・カバーは外してあるが、これは72年頃のペイジを踏襲したもの。実はそこにも変遷があって、入手当初の71年はゴールド・ノブでカバーはすべて付いていたが、72年に6弦側カバーがなくなり、73年のマディソン・スクエア・ガーデンからはノブを黒に交換……といった流れがある。それを再現するために、僕は時々の演目に合わせてパーツを付け替えているのだ。また「天国への階段」然り、ペイジの12弦エレキ音色には全年代を通して独特のコーラス感があり、その秘密は12弦側の2弦副弦だけを若干高めにチューニングしていることにある。
ペイジ愛用のフェンダー・ストラトキャスターとして有名なのが、レイクプラシッド・ブルーのボディ&ローズウッド指板のモデルだ。その年式には諸説あり、60年前後あるいは64年製と言われている。彼がそれを弾き始めたのは70年代半ばで、僕が今までに見た写真の中では75年5月18日のアールズコート公演で手にしているものが最も古い。この時のライブではレコーディングと同じく「丘のむこうに」をストラトで奏でたのだが、音色の切り替えが多いこともあって操作が難しかったのだろうか。以後はストラトをステージに持ち出す機会は減り、次の主だった登場は79年ネズワース公演の「イン・ジ・イヴニング」まで待たねばならない。
僕が所有する写真の64年製モデルは、実を言うと58年製サンバースト・レス・ポールよりも先に入手した。というのも、バーストを探しているさなかにこのギターと出会ってひと目惚れし、頭金にしようと貯めておいた100万円を投じてしまったのだ(笑)。しかも買ったあとで、1弦側ホーンの側面にペイジのストラトと同じようなふたつの傷が付いていることを発見して惚れ直した次第。なお、本人にならってアームのグリップはブラス製に交換し、リア・ピックアップもトーン・コントロールが効くようにカスタマイズしている。12フレットにふたつあるはずのクレイドット・ポジション・マークは、購入した時点で1弦側が欠損していた。
トランスパフォーマンス社が開発したオート・チューニング・システムDTS-1を内蔵したレス・ポール・クラシックで、エリーデスという専用カラーが美しい。ボタン操作で340種ものチューニングを自動で設定してくれる優れもので、ギター・クリニックなどで非常に重宝する。ただ、ボディが大幅に加工されていることで通常のレス・ポールとは音色が異なり、それに対処すべくピックアップはMR.JIMMY仕様に交換、アッセンブリーにも手を加えている。
実にこのシステムを世に広めたのが、ペイジその人である。そもそも開発者が米国のギター雑誌に製品を売り込んだところ、驚くべき機能に魅せられた編集者がペイジに勧め、彼も興味を示してコラボレーションが始まったのだ。そうして92年頃にDTS-1を積んだゴールドトップを使い始め、翌年のカヴァーデイル・ペイジ日本公演でも披露。同じ頃にレス・ポール・クラシックに内蔵する形で製品化もなされ、日本エレクトロ・ハーモニックスに勤めていた僕が日本で初めてその販売権を得て、正式に市場へ送り出すに至るのだった。DTS-1はまさに世紀の発明品であり、ペイジもまたそれを用いて新たな音を作り出している。チューニングが完全に切り替わるまでの時間をコンマ単位で設定できる機能などは彼のアイディアで、音程が変化していく過程の不思議なサウンドを曲のテンポに合わせることで効果的に音楽に生かしたのだ。
ツェッペリン時代のペイジを再現するうえで主力となるアンプ・ヘッドとスピーカー・キャビネットがこちら。まずスピーカー上のアンプは71年製ながらミント・コンディションのハイワットDR103で、もともと成毛滋さんが所有してたものを購入した。ペイジは70~71年はハイワットにマーシャル・スピーカーを組み合わせ、ソロなどではヴォックス・トーンベンダーを踏んでいた。つまり初期ツェッペリンの音に近づくには、ヘッドはマーシャルよりもハイワットがふさわしい。
手前ふたつは71年以降のギター・サウンドを支えたマーシャルのアンプ・ヘッドで、上は僕にとって初のビンテージ・アンプとなった73年製。94年にこれを手に入れたことで、現在に至ってもモットーに掲げている「すべて楽器が教えてくれる」ということを学んだ。下は69年製のいわゆるプレキシと呼ばれるモデルで、両機ともペイジの音色に近づけるための徹底的なチューンナップが施されている。いずれのアンプを使うにしても必ず鳴らすのが、後方の71年製マーシャルBスピーカー・キャビネットだ。グリル左上の「100」エンブレムが特徴的な本機も、もとは成毛滋さんの持ちもので、非常に美しい状態を保っている。
ペイジ・サウンドに不可欠のエッセンス、マエストロのエコープレックスEP-3(左)とソニックウェーブのテルミン(右)だ。前者については70年後期まではEP-2、それ以降はEP-3を愛用したが、いずれにせよステージには2台を持ち込んでギター用とテルミン用にセットしていた(アンプも同様に2台を用意)。ギター用としてはディレイ効果のみならず、これを常時通すことでハイカットとゲインアップを得るというプリアンプ的な使い方が音作りの鍵となる。また、テルミンとの組み合わせでは「胸いっぱいの愛を」におけるスペーシーなサウンドを担ったが、テルミンを鳴らした状態でロータリー・スイッチを回してディレイ・タイムを変える際の、ヘッドがテープをキュインと擦るノイズはこの機種でなければ表現できない独特のものだ。
ちなみに、僕は長らくペイジのテルミンはカスタムメイドだと考えていたが、96年に訪れたロサンゼルスの楽器店で60年代後半製の本機に出会い、これこそペイジの音色そのものであることを発見した。
ジミー・ペイジを追いかけ続けたひとりのギタリストの挑戦を記したジミー桜井の自叙伝。今や世界中のツェッペリン・ファンから注目を浴びているが、かつての彼はツェッペリンのいちフォロワーでしかなかった。音楽を志す人の多くが経験する誰かの模倣やコピー、再現の類だってれっきとした表現たるのだという彼の主張は、ギターキッズやロック少年、バンドか就職かと悩む若者や、週末のリハとライブに情熱を注ぐ社会人バンドマンなど、世のアマチュア・ギタリストを鼓舞する力強い味方になり得るだろう。
ジミー桜井
94年にレッド・ツェッペリンのトリビュート・バンド“MR.JIMMY”を結成、2012年にはジミー・ペイジ本人がライブに来場、大喝采を得る。2014年米国のトリビュート・バンド“LED ZEPAGAIN”に正式加入。2017年からはジェイソン・ボーナム率いるJason Bonham's Led Zeppelin Eveningに参加し、世界的なジミー・ペイジ求道者としてワールドワイドに活動している
田坂圭
1974年生まれ。ギター・マガジン編集部、ベースマガジン編集部/編集長を経て、ライター&カメラマンとして独立。プランニング&ディレクション、コピーライティングや音楽関連の記事制作等もさまざま手がけている。著/共著関連に『忌野清志郎ロッ研ギターショー』、『仲井戸“CHABO”麗市CHABO BOOK』『野村義男の思わず検索したくなるギター・コレクション』などがある