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- 2024/11/16
ヒヤリングアート
伝説のグループ、五つの赤い風船のメンバーであり、現在は関西を中心に、アコースティック・ギターの演奏を始めとした音楽活動を行なっている長野たかし(上写真・右)。突発性難聴により聞こえの調子を悪くしてしまった彼は、もともと音楽仲間でもあった園原裕將(上写真・左)が代表を務める補聴器専門店、ヒヤリングアートの門を叩いたことで、再び仲間とのコミュニケーションと音楽の感動を取り戻したという。より良い“聞こえ”を取り戻すことで豊かで積極性のある人生を歩んでほしいというヒヤリングアートと長野が考える、聞こえ、そして補聴器とは?
※本記事はアコースティック・ギター・マガジンVol.73(2017年夏号)の転載になります。
──長野さんがヒヤリングアートで補聴器を作ろうと思ったきっかけを教えて下さい。
長野 音響の仕事をしている時に、いきなり音が歪んで聞こえ出したんです。突然です、突発性難聴でした。最初はてっきり機械が壊れたと思ってすぐに病院には行かなかったんです。聞こえづらいことに不便を感じていたんですが、いつの間にか“こんなもんやろ”と慣れてしまって。レコーディングの仕事も違和感がありながらも、経験値でなんとかこなしていました。そんなことをくり返しているうち、本格的に聞こえなくなってきて、人の会話がわからなくなってしまった。そうなると聞こえないから、会話にも参加しなくなってしまうんです。次第に表情が硬くなっているのが自分でもわかったし、すべてにおいて“ま、いっか”みたいな考え方に頭の中が支配されてしまって。これではいけないと思い、もともと音楽仲間でもあったヒヤリングアートの園原さんに相談したんです。
──長野さんは補聴器にどんなイメージを持っていらっしゃいました?
長野 テレビショッピングでよくやっている大きな集音器のイメージがありました。実際にひとつ買ってみたりもしましたが、左右の聞こえのバランスの調整もできなかったし、あまり良い印象はなかったですね。“きっと補聴器もそんなものだろう”と、ちゃんと理解していなかったです。実はヒヤリングアートにお世話になる前に、買うまでにはいかなかったのですが、別のお店で補聴器を試したことがありました。調整もしてもらって、お試しで外出してみたのですが、めまいがして気持ち悪くなってしまって。そんなこともあってか、補聴器を使うのが少し怖くなっていました。
園原 僕は長野さんがプロ・ミュージシャンであることもよく知っていたので、自分への挑戦として、日常生活だけでなく、長野さんの音楽活動の手助けになる補聴器を作りたいという思いがありました。長野さんがうまく使いこなせるものが作れたのなら、音楽をやりたくても、聞こえの問題で諦めていた人たちの背中を押すことができるんじゃないかって。
──長野さんの補聴器を作られた時のポイントを教えて下さい。
園原 長野さんは耳に補聴器が少し触れるだけでも閉塞感を覚えるらしくて、耳栓を装着すると自分の声も気持ち悪く感じてしまっていたそうなんです。そこで耳栓部分の特殊加工をけっこうやりました。補聴器の耳栓部分がほとんど皮膚に接触しないように、可能な限り削ぎ落として骨組みだけで安定するように仕上げました。もうひとつは音量の問題です。補聴器は小さい音を大きくする機器なので、大きな音に対しては共鳴してしまいます。長野さんの場合、日常生活は通常の補聴器の仕様で問題ないのですが、ステージで歌われる時に、声が大きいのでコンプレッションがかかって音が歪んでしまうんです。そこで補聴器の音量のバランスをかなり細かく追い込んだり、残響音が自然な感じになるよう徹底的にコントロールしました。
長野 これまでの音楽活動やレコーディング経験から、補聴器を装着した時に欲しい音の特性や表現のニュアンスは決まっていました。園原さんは音楽のことがわかっていたので、僕の要望していることを、すぐに察して対応してくれるのでたのもしかったです。
──実際に補聴器を使った印象はいかがでした?
長野 補聴器に慣れるまで少し時間がかかりました。僕が思うに難聴って一定の症状じゃないんですよ。体調によっても聞こえが違うんです。脳の作業というか、補聴器に自分が合わせていくんだと気づいてからは、ずいぶん楽に使いこなせるようになりました。
──長野さんの補聴器を作られた時に注力されたことはありますか?
園原 長野さんの求める微妙な音のニュアンスをどこまで届けることができるかに一番力を入れました。僕のまわりでも、聞こえが悪くなってしまって音楽を楽しむことを諦めてしまっている方がたくさんいます。長野さんの補聴器をきっかけに、そういった方々が補聴器を使うことで、日常生活はもちろん、もう一歩進んで、音楽鑑賞や楽器演奏を再び楽しむことができるようにしたい、それがヒヤリングアートの開業当時からの思いであり、挑戦なんです。
──聞こえが不自由になっても音楽を諦める必要はないのでしょうか?
長野 チャレンジだと思います。諦めたらいけないし、残りの人生で今日が一番若い、今日より明日の方が若い、そういう気持ちで生きてほしいんです。ヒヤリングアートで補聴器を作って本当に良かったし、音楽を諦めてしまわないで良かった。加えて、補聴器の技術がすごく進歩しているということも、皆さんに理解してもらえればと思います。
園原 最近は素晴らしい性能の補聴器がたくさん出てきているので、相性の良いモデル選びと、細かい調整を一緒にしていって、不都合をひとつひとつ解決していけば、上手に補聴器を使っていただけると思います。私たちは補聴器を使って聞こえただけを良しとせず、その先の活躍する姿が見たい。ヒヤリングアートは積極人生を応援していきたいんです。
ヒヤリングアート
[本店・豊中補聴器センター]
■営業時間:月〜土 10:00〜18:00(日祝定休)*予約優先制
■住所:大阪府豊中市岡町北1-1-15 1階
■電話:06-6848-4133
■URL: http://hochouki-toyonaka.com/
*その他に池田補聴器専門店、高槻補聴器センター、須磨補聴器センターがあります。
園原裕將(そのはら・ひろまさ)
大阪府出身。大学卒業後に大手眼鏡店に入社し、眼鏡と補聴器の基本を学ぶ。退社後にデンマークの老舗補聴器メーカーに入社し、補聴器の専門技術を習得したのち、2009年にヒヤリングアート株式会社を設立。現在は、大阪府豊中、池田、高槻、兵庫県神戸市須磨と計4店舗を構える。なお手にしているギターは、1972年製のマーティンD-41で、バンド“ばっくすばにぃ”で活躍した北村謙が当時から使い続けていたものを譲り受けた。また、メイン画像にあるヒヤリングアート本店には園原が集めたアコースティック・ギターやフラット・マンドリン、バンジョーなどが置かれている部屋があり、ミニ・ライブができるようになっている。
長野たかし(ながの・たかし)
1950年生まれ、岡山県出身。伝説のフォーク・グループ、“五つの赤い風船”でベーシストとして活動したのち、NHK教育テレビの子ども向け番組『たのしいきょうしつ』に出演。現在は関西を中心に子ども向け人形劇 “劇団MOMO”を主宰する他、アコースティック・ギターを手にパートナーの森川あやことともに、演奏活動に励んでいる。今年ふたりの新作『希求』(LEAK STUDIO LEAK0005-2)を発表。長野がこの日持ってきたのは、ライブやレコーディングで用いている90年代後半製のVGのVG-000X、材はボディ・トップがスプルース、サイド&バックがメイプルだ。