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- 2024/11/16
ショート・スケール・ギター
スチューデント・モデルという呼称もあるが、キッズや初心者向けギターのスペックと思われがちなショート・スケール。もちろん間違ってはいないのだが、ショート・スケールでなれけば出せないトーン、演奏性、バランス、ルックスなどの魅力があるのも忘れてはならない。5ヵ月ぶりとなる当連載コラム、Dr.Dが贈る熱い“2万字”ショート・スケール・ギター・レビューをぜひご堪能あれ。
ピアニストが手の小ささを補うために、指の間にメスを入れる──。効果の程は定かではないが、昔、そんなことをする人がいたという話を聞くことがある。都市伝説のようにも思えるが、何とも凄まじい話だ。
人間が、楽器に身体を合わせる。程度の差こそあるものの、楽器を手にする者ならば必ずと言って良いほど通る道である。重い楽器を持つために力をつける。肺活量を上げる。指の柔軟性を鍛える……そんな基本的なことも含めて、全ては楽器を扱う上での基礎的なテクニックの延長線上にある一種の“常識”である。左利き、などというものも同様だ。先のピアニストの話に比べるまでもなく、左利き専用の楽器というものを市場でほとんど見ないことからわかるように、「その程度のこと」は楽器の世界ではハンデとはされないのである。
慣れる。訓練する。その繰り返しだけが、人間を楽器のための“奏者”へと作り上げていく。少なくとも今でも大多数の楽器奏者たちの認識はそれで一致しているはずだ。利き腕がどちらだろうが、身長が高かろうが低かろうが、頭が禿げていようがいまいが、人間一人ひとりがそれぞれ違った肉体的個性を持っている限り「人に合わせた楽器」など存在し得ないということこそがただひとつの楽器界の“常識”であり、また、その摂理に従うことは奏者の哲学としての最低限の“マナー”でもあったはずだ。……にもかかわらず、である。
ギターの世界だけが、その“常識”からあまりにもかけ離れてしまっていることに、皆さんはお気づきだろうか?
慣れない初心者のためにネック・スケールを縮める。抱え難かったらコンターを入れてボディを削ってしまう。軽量化のために材や構造を変える。それだけならまだしも、カッコイイというだけで次々と新しい形を考案し、塗装も派手に塗り替える。挙句は、レフティ(左利き)用のものまでが特注とかではなく、普通に町の楽器屋にぶら下がっている始末だ。音だって1台1台がまるで違う。あっちはピーなら、こっちはザー。それでもなお、それらは全て同じ「ギター」の仲間だと人々は言う。そんなギターたちより遥かに厳格な楽器としての成型規範があるバイオリンやピアノ、管楽器などを含めた、他の全ての楽器から見て、その音質さえも凌駕してカスタマイズされ続けるギターという楽器の多様性は、彼らにとっては異常な光景に映ることだろう。もちろん、歴史を見ると左利きのバイオリンやフルートを使ったという人は有名人の中にもいるし、ピアノだって音階が逆になった左利き用のものや、手の小さい人用に鍵盤そのもののサイズが小さく作られたものもないわけではない。ただ、やはりそれらは、あくまでも例外なのだ。
そこへ来ると、ギターの世界のなんと人に優しいことだろう。楽器の方から奏者の方へ歩み寄ることが、なんの不思議もなく日常としてまかり通っているのである。そこでは、誰もが毎日の服を選ぶように楽器を選ぶ。人は厳格な稜線の内側にある“出来”以外のもっと様々なわかりやすい個性からギターを選び、ギターもまた規定の枠を正しく飛び出すことで自らをアピールしている。
それは、コーディネイトなのだ。自分を楽器に合わせるだけではない──この世にただひとつしかないかもしれないその楽器とむき出しの個性をぶつけ合う“会話”なのだ。そして、そうして出会った1本だからこそ、まるで自分の手足のように生涯に渡ってそれがだんだんと本当の意味で自分専用のギターになっていくのだ。
それを楽しんでこそのギター、それを楽しめるからギタリストなのだろう。そう考えると、ギターという楽器の観念では、出会いの瞬間から先入観で選択肢を狭めてしまうことは最も損をする考え方ということになる。音も、弾きやすさも、ルックスも、色から匂いに至るまで、ギターの可能性は無限なのだ。そして、ギターは今日もそのアイデンティティを広げ、深め、歩み寄って来ている。明日もギタリストを称するなら、ギターの世界の奔放さから決して逃げ出さないことだ。
そこには“常識”はない。だが、ギターとギタリストだけが知る自由のための“約束”は確かにあるのだから。
今回は『ショート・スケール・ギター』を特集する。ひと昔前までは「スケールの短いギターは初心者用」などとも言われ、もっぱら子供か手の小さい女性用としてしか見られていなかったが、このところ有名なプロやスタジオ・ミュージシャン達が、その独特のプレイアビリティや音質を自らの楽曲に取り入れようと“あえて”選ぶことが一般化してきたことから、人々の認識も変わってきたという。確かに市場を見渡してみても、現行で販売されているショート・スケールの機種はまだまだ少ないものの、一時期よりも値段や仕様も多岐にわたり、いわゆる「ゲテモノ」「半端物」的な扱いではなくなってきたように思われる。しかし、実際のところはどうなのだろうか? 我々の誤認が溶け本来のポテンシャルへの理解が深まっただけなのか、それとも着実にギターが進化してきたことでそちらにも興味の目が向くようになっただけか……もしくは、今のショート・ギターへの興味は単なるまやかしで、ベテランたちの口車に乗せられてちょっと反骨心を見せたいだけの虚飾のブームなのか。そこのところを全くクリアな目線で比べ、ショート・スケールを持つギターの真の実力と、その魅力についてつまびらかにしようというのがこの企画の意図だ。
ラインナップはいつも通り、デジマート内のエレクトリック・ギターの在庫から、現行品もしくはそれに準ずる製品を優先的に選出している。今回は、標準的なミディアム・スケールとされる24.75インチ(約628mm)に達しないものを基本的に選出対象とし、ほとんどミディアム・スケールに近いものから24インチを下回るものまで、なるべく幅広いスケールやスペックを比較検証できるようにした。また、単純に既存のギターの全景を縮小したような「ミニ・ギター」は、今回、対象から外している。あくまでも実践的な利便性を損なわないという条件の上で、ボディ・サイズの圧縮比に依存しない“意味のある”短いネックのギターにこだわってみた。弾きにくい、安っぽいなどの古い先入観は今日を限りにして、ぜひともその画期的なサウンドやルックスを自身の楽器ライフに加えるきっかけにしていただければ嬉しい。
ボディを横にして弾くソリッド・ギターであるラップスティール式のギターに対し、本体を横にして抱えて持つスパニッシュ・スタイルのギターを区別するためにGibson社が付けた名称、それが「ES(エレクトリック・スパニッシュ)」シリーズである。戦前からフル・アコースティックのボディにピックアップ(マイク)を搭載するという先鋭的仕様への取り組みを通じて、Gibsonにおける現代的“箱”ギターの象徴として時代をリードしてきたそのシリーズの功績については、いまさら説明するまでもないであろう。その中で、1940年代から生産が開始されたES-300のカッタウェイ仕様として47年に登場したES-350というモデルがある。
当初はハイ・ポジションへのアクセスの良さから注目を浴びたES-350であったが、フルサイズ(約3.375インチ)のボディ厚による取り回しの悪さや、パワーの上がりつつあったピックアップによるハウリングの問題が常々指摘されていた。Gibsonはその弱点を補うべく、1955年にそれまでよりも薄いボディ・サイズ(約1.75インチ)を持つ「シンライン(Thinline)」と呼ばれる新規格の導入に伴う大幅なモデル・チェンジを敢行し、ESシリーズは新たなスペックを得ることになった。その時誕生したモデルのひとつが、ES-350のシンライン・バージョン、ES-350Tである。丸みを帯びたベネチアン(ラウンデッド)カッタウェイにドッグ・イヤー型のP-90ピックアップを2発搭載した55年当時の最初期スタイルを再現したGibson Custom Shop製ES-350Tは、スポット生産ながら、現在も度々市場に上がる隠れた人気機種として有名だ。
指板はさすがに50年代のようなハカランダとはいかなくとも、かなり色の濃い上質なローズウッドが使用され、クルーソンのひと瘤ペグから見下ろすES-300の流れを汲む象徴的なダブル・パラレログラムとヘッドのクラウン・インレイの組み合わせは、いかにも王者の貫禄と言った風格がある。そしてやはり、何よりも象徴的なその23.5インチ(597mm)スケールが生む、ふくよかな余韻と弦をアタックした時の“溜め”をはらんだ独特のダイナミクスは、現代のクリアで硬質なそれとは異なる深い陰影を生む。55年当時のGibsonの箱はスプルースのボディが主流だった中で、ラミネイトのメイプル・トップの鮮やかな立ち上がりを備え、シングルコイルのカラッとしたサウンドにショート・スケールのマイルドなテンションを組み合わせた功績──その、底の見えないくすんだ沼の表層部分に恐ろしく透き通った水を張り、一発のピッキングでそれをかき混ぜるような清濁合わせ持つ音像こそ、まさにES-350Tの音だ。なるほど、センターブロックを持たないフルアコ構造にも関わらず、ジャズだけではなく、重厚なブルースやソウルのプレイヤーに愛用されたのも頷ける表現力豊かな音楽性を備えたモデルであることは間違いなさそうだ。弦間の違いからか、現代のES-350Tはややオリジナルよりはネックが広めに感じるものの、50年代再現モデルにして分厚さはなく、むしろナロー・ネックっぽい350T独特の薄めの手馴染み感は非常に良く再現されており、当時の雰囲気を十分に味わうことができるだろう。
ちなみに、オリジナルは1957年にはハムバッカー(初代P.A.F.)を搭載するようになり、60年代の初頭から生産完了となる63年まではフローレンタイン(ポインテッド)カッタウェイ仕様に変更され(この期間はES-350TDとデュアル・ピックアップであることを示す“D”がモデル名につく)ることになる。さらに77年〜81年の再生産モデルが、実用面を考慮してか、なんと25.5インチ・スケールのネックを搭載するという全く別物のギターのように仕様変更されたことを考えると、この初期仕様は最初期の約2年の間しか見ることのできなかった実に貴重なスタイルだ。ES-335の様なクッキリとした音像のギターよりも音の芯が柔らかめで、しかもメイプル特有のトラ杢のあるギターを探しているなら、ES-350Tという選択は現代でもその独創性は他に類を見ない魅力を持つギターだと言える。
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1955年のNAMMショーでお披露目された「シンライン(Thinline)」ボディを持つギターには、上記のES-350Tの他に、もうひとつ23.5インチのショート・スケールで構成された双子の様なモデルがある。それが、Byrdlandと呼ばれるこのギターで、長い同社の歴史の中でも23.5インチのスケールを採用するアーチトップ系レギュラー・ラインは、基本的にこれとES-350T以外には存在しない。当時ナッシュビルを拠点に活動していたセッション・ミュージシャン、ビリー・バードとハンク・ガーランドの協力を受け完成したこのByrdlandは、確かに仕様面で見ても歴史的に希少なモデルであることには違いないが、少ない製造数ながら69年あたりまでコンスタントに製造され続けた。その後、リミテッド・ランながら77年、78年、92年にまとまった本数を再生産すると共に、以降もマスタービルドやCustom Shopメイドとして現代まで途切れない需要を維持しているのは、目を惹くゴールド・パーツや幾重にも施されたバインディングといった容姿の美しさもさることながら、やはり、その音の素晴らしさを抜きには語れない。
スケールの短いギター特有のワイドな立ち上がりに、キリっと背筋の通った芳香がかぶさり、アタックの明暗がはっきりと出る。それでいて、ギブソン系セミアコの定番であるスプルース単板削り出しのボディ・トップが、本来のびんびんする耳に痛い部分の高域にうまく立体的な奥行きを与えてくれている。明らかにL-5の流れを汲む指板のブロック・ポジション・マークやヘッドのトーチ(またはフラワー・ポット)インレイ、そしてウォルナットを挟み込んだ5プライ・ネックの堅牢さから、なんとなくクラシカルで重厚感のある音色を想像しがちだが、実のところその響きのイメージは「女性的」。とは言っても、たおやかとか優しいということではなく、切れ長の視線を注ぐ“若き女王”の貫禄とでも言おうか。テイルピースの丸みのある王冠的なフレームがそうした印象を抱かせるのかもしれないが、やはり現行で標準装備されることの多い57 Classicピックアップの音色がPAF系ど真ん中のレプリカにもかかわらず、高域がややカラっとしていてモダンに寄っていることも大きく影響しているのかもしれない。オリジナルByrdlandの最初期にあったような、いわゆるAlnico Vのようなマイクをフロントで鳴らせば、あるいはこのマテリアルとの組み合わせでももう少しまったりと枯れた音色になるのかもしれない。もちろんこの出音ならば現代のブライトなハイエンド・アンプにマッチしていて使いやすさの点では何の不満もないが、個人的な好みから言えば、こうしたサウンドを持つギターの外観には、50年代を象徴するベネチアン(ラウンデッド)カッタウェイ(Byrdlandの場合、第1期の最終年となる69年に1年だけこの仕様に戻された)よりも、60年から68年まで採用されたホーンの尖ったフローレンタイン(ポインテッド)カッタウェイの方がしっくりくる気がするのは気のせいだろうか。
ちなみに55年に登場したオリジナルのByrdlandとES-350Tは、それぞれ一度生産終了になるまでの期間、弦間隔が通常のGibson規格の0.4インチではなく0.36インチと狭目に設計されていたのをご存知だろうか。これが広く言われるところの「バードランド・ピッチ」の正体である。実は、この時期に装着されていたピックアップはポールピースの間隔もそれに合わせてカスタムされたものだったと言われている。それゆえに、当時のビンテージの個体に現行のピックアップを入れようとするとポールピースの間隔がズレたり治具が入らなかったりする可能性がある。逆のパターンもまた然りだ。ByrdlandとES-350Tに関しては、ピックアップやブリッジの交換は同時代のモノ同士で行なうのが鉄則だということを忘れないように。現行のCustom Shop製Byrdlandなどは、基本的に全て標準の0.4インチ幅に統一されているためピックアップ交換のリスクは少ないものの、ビンテージのような独特の狭い弦間でのプレイを楽しむことはできない。ビンテージの希少なグリップを優先するか、それとも現行品の利便性を取るか……この2機種については特に悩ましい問題だと言わざるを得ない。
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エレクトリック・ギターの歴史を垣間見るに、真の意味で「スチューデント・モデル」というラインナップについてメーカーを上げてより多くの研鑽を積んだと言えるのは、Fender以外にはあり得ないだろう。彼らは創業以来、「プリンストン(Princeton)」という名のスティール・ギター、そしてその同名を冠されたパートナー・アンプを持っており、それらが50年代半ばに上位機種としてシフトしていく中でも、過去の製品の焼き直しや工程の削減などによるコストカットなどではなく、正真正銘のオリジナル製品を開発し続けてきた。その気概を見れば、このメーカーが決して「手習い組=スチューデント」達のギターにかける熱い情熱を軽んじていなかったことは明白である。
そうした中、1955年にドン・ランドールによって提案され、56年に生産が始まったのがMusicmasterとDuo-Sonicだ。両者はピックアップの数(Musicmasterはフロントの1基のみ。セレクターもない)以外は同じ仕様の双子のような機種で、その中でも2ピックアップで多彩な音楽に対応できるDuo-Sonicのみとは言え、現行のバハカリフォルニア・エンセナダ工場(通称で言うところのFender Mexico)産として今でもそれが第一線で製造されているのは嬉しい限りだ。滑らかで角のないペタンとしたボディは、いわゆるミニ・ギターのような強制的なスケール・ダウンにのみ固執したどこかスカスカするようなあのいびつさは全くなく、抱えた時にすんなりと脇腹にフィットする。ネック・スケールは24インチ。50年代から60年代前半にかけてのオリジナル・モデルは「3/4」と言われる22.5インチ(571mm)スケールだったが、それらは実際に弾いてみると19フレット以降は手の大きい人にはやはり狭過ぎる。かといって、90年代頃の再生産品のように20フレット仕様のものとなると絶対的に上の音が足らなくなる可能性が高い。この24インチ/22フレットという仕様は、長年スチューデント・モデルにこだわってきたフェンダーが辿り着いた現実的、そして例えそれを扱う者が手の小さな初心者だとしても妙な左手の“クセ”が付きにくく、将来に渡り応用が効くプレイ・スタイルを養うのに最適なロケーションを有しているから……と言う結論に到達したがゆえであると信じたい(オリジナルでは、60年代の半ばから22.5インチに加え24インチ・スケールも選択できた)。
加えて、伝統的なCシェイプ・グリップはビンテージものよりも気持ち握り込みやすく成型され、フェンダーとしてはそれなりにゆるく感じるはずの9.5ラディアス指板のカーブも、ストラトやテレキャスに慣れた指にも実にしっくりくる。「チープ」、「ヒップ」などが代名詞のDuo-Sonicだが、実際に手に取れば、少なくとも簡易的なイメージは全くなく、むしろ音楽的に洗練された明確な主張がその形状に込められていることがわかる。ジャンボ・フレット、そして裏通しのハードテイル・ブリッジを採用しているのは実に現代的ながら、音質面でも従来なかった強いサステインと倍音感への恩恵は明らかで、Duo-Sonic HSのリアに搭載されたハムバッカー(トーン・コントロールのプッシュ/プルで、タップ可能)のガッツリとしたロックな割れ方も合わせ、楽器として着実に進化していることを感じさせる仕上がりとなっている。それでも、リアがシングルのバージョンではメイプル指板を採用し、50年代最初期のルックスを忘れさせないところなど、個人的には実にそそられるポイントだ。米国新大統領の政策でメキシコとの国境を挟んだ生産ルートの見通しが懸念される中、この新生Duo-Sonicの闊達なサウンドにFenderファンは今こそ触れておくべきだろう。
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テレキャスやストラトなどのプロフェッショナル・シリーズと、Duo-Sonic等のいわゆるスチューデント・モデルとの中間を埋める形で登場した第三のクラス、ミドル・エントリーの雄──それがMustangだ。コンセプトとしてはトレモロ付きスチューデント・モデルの体を体現しただけのモデルに見えないこともないが、左右非対称なくびれを持つオフセット・ボディの採用をはじめ、他の機種には一切採用されなかったモデルの顔ともいうべき「ダイナミック・ビブラート」をはじめとしたパーツ・レベルの独自仕様の数々を見るだけでも、今日までこのモデルがFenderファンの中でも最もディープなフォロワー層に支持され続ける理由がなんとなく頷けるというものだ。ただ、Mustangが登場した1964年という年はFenderとしての大きな分岐点となるCBS買収の前夜であり、その後、社内体制が劇変する中で時代時代の採用材による個体差が大きく、さらに、初期のものはネック・スケールも22.5インチと24インチのものが混在してそのまま市場に流れたこともあり、それゆえに音色の傾向に「当たり外れが大きかった」ことでも知られている。加えて、先に話したような他のギターとの共通パーツがあまりに少ないことも相まって、そうした不安定要素の数々が長きに渡り量産化の足かせになってきたことは否めない。
だが、このプロジェクトを通じて、Custom Shop自らがそれらの懸案を撃ち払い、Mustangという個体の“確信的”な1本を生み出そうとしたことは非常に意義深いものを感じる。ミドル・クラスとして疑わなかった誰もが知るギターを、現在最高峰のスペックで織り直す。まさにそれは、禁忌への挑戦にも似た興奮があったことだろう。実際に手にした時の衝撃はものすごいものだ。オリジナルではポプラやアッシュが多いMustangだが、これのボディはアルダー。指板もラウンド張りで、色の濃いローズ材が惜しげもなく貼られている。なんというのか……気品が違う。高級機種独特の凛と張り詰めた「匂い」がこのギターにはある。それにも関わらず、どこかするりと懐に入り込んでくるような気安さも兼ね備えている。やはり一番の違いはネックのグリップ感だ。60年代のもののように、握り込んだ時の親指の付け根にかかる当然あるべき負荷が、このモデルでは驚くほど少ない。Rが柔らかく切ってあるためか、チョーキングも実にスムーズだ。ただし、オリジナルよりも軽いアームの負荷といい、24インチ・ショート・スケール特有のこの弦の暴れっぷりをうまくコントロールするのには、予想以上に右手の正確さが求められるだろう。
それでも、出音は予想以上に“張っている”からすごい。あの引っかかるような、Mustang特有のエッジのエグ味はそのままに、オープンな音の芯が一番最初にぶっ飛んでくる。テレキャスのようにシビアなサウンドでは決してないが、ミッドに張り付くグズグズモコモコした感じはかなり整頓されているので、どちらかと言えばモダンなサウンドと言って良いだろう。スライド・スイッチになっているピックアップ・スイッチでは、2つのシングルを単体で使う以外に、シリーズもしくはパラレルでの同時使用に加え、フェイズ・セレクトを追加でき、ストラトのハーフ・トーンやハムバッカーのような音色で基本7系統のサウンドを引き出すことが可能だ。
Char氏所有の67年製を採寸したモデルということで、両面のコンターが入っていない仕様なのも、ずんぐりした初期の頃のMustangを思い起こさせ、実に味わい深いルックスに仕上がっている。あまり目を引かないが、サドル調節のネジがオリジナルの仕様とは異なり、ピックアップ側から調整できる点も、使いやすさを追求されていて一貫した美学を感じるポイントだ。現行新品で手に入るものとしては、国内産や一部のSquierモデルをのぞいて、すでに生産終了のAmerican Specialラインのものですらチューニング重視のためかアームなしのハードテイル&3点セレクター仕様に落ち着いてしまっていたこともあり、進化の系譜からいってもこの“Free Spirits”こそが今の正当なるUSA Mustangの嫡流と言えるのかもしれない。半世紀を要して熟成された米国産Mustangの“本気”──ここにあり、だ。
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2012年に大幅なアップデートを経てリニューアルされたAmerican Vintageシリーズだが、そのメイド・インUSAのクオリティは未だ市場の第一線において健在だ。Fenderはこのシリーズをアップ・グレードするのに、細部までの緻密な採寸やネジ1本からのパーツ解析をはじめ、オリジナルを作った当時の工具までフル・レストアするという徹底した工程を踏んだことはよく知られている。
Jaguarというモデルは、ロング・スケールだったJazzmasterの取り回しの悪さを見直す形で1962年に登場したどちらかと言えば高級機種という位置付けだが、実際のところは、サウンド面、機能ともに50年代のFenderにはなかった全く新しいスタンスをもたらした異端児と言って良い。ヘッドやボディ形状こそJazzmasterそっくりに見えるが、やはり、Jazzmasterはストラトなどと同じ25.5インチなのに対して、Jaguarは24インチ。手に取れば、明らかに重心がボディ側に寄っているのがわかる。さらに細かな違いだが、Jaguarはスケールが短くなっても22フレット仕様。21フレットのJazzmasterより明らかにプレイ時のアドバンテージがある。当然、その分ネック・ポケットはJaguarの方がかなりピックアップに接近して掘られているが、奥に入った距離がちょうど余剰の1フレット分程度の長さであるためか、双方を持ち替えてもハイ・フレット側の演奏性において違和感を全く感じなかったのは衝撃だった。
そして、やはり最大の特徴はこの音だ。「ケシャン」という独特のブライトでこすりつけるような鳴りは、オリジナル仕様のシングルコイルを搭載するこのモデルでしか到底味わえない。American Vintage Series ’65 Jaguarはその名の通り65年製の個体を再現しているが、ここに搭載されている特別仕様のピックアップは、サイドに金属の縁が刻まれた60年代の「ワイド・レンジ」ピックアップに、見た目のみならずサウンド面でもかなり迫っていると感じた。いわゆる“枯れ感”ではさすがに本物のビンテージものの乾いた音にはかなわないものの、中域の輪郭はこちらの方がしっかり出るので、サーフ・リバーブやスライド・バーなどとの相性で言えばむしろAmerican Vintage Seriesの方に軍配が上がる気さえする。
そして、もうひとつポイントとなる点を挙げるとすれば、Jaguar特有のロー・カット・スイッチの効きにしっかりとメリハリがある点だ。通常のギターのトーン・コントロールはハイ・カットが主流のためこのロー・カット機能こそJaguar独特の音質を生む決め手となる仕様なのだが、どうも以前のリイシューものはあまりこの効果がピンとこなかった(極端な音質変化を避けるため、わざと抑えて作られていたのかもしれない)。それが、この’65 Jaguarでは、オリジナルにも引けを取らないがつんとした効きで、かなり思い切った音色チェンジを可能にしてくれる。この点はなかなか嬉しかった。何を持ってビンテージ・スタイルの成否を評価するかは置いても、そのサウンドはもちろんのこと、当時から不要論も多かったフォーム・ラバーによるミュート機能や、66年以降に大幅に改変される以前の初期テイスト溢れるドット・インレイの勇姿も含め、この’65 Jaguarは多くのオールド・ファンを満足させるのに足る確かな説得力を持ち合わせたギターだと言えるだろう。
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現在製造は中止されているが、まぎれもなくSquier製のオリジナル・モデルであるJagmaster。価格帯的には初心者用モデルに当たる製品だが、実際に手にとってみると、そのバランスの取れた性能は侮れないものがあるのがわかる。97年のVistaシリーズからスタートし、後にVintage Modifiedシリーズに受け継がれたこのモデルは、その名が示す通り、JazzmasterのボディにJaguarのネックをくっつけたような構造を持つ。
スケールは24インチのショート・スケール。ブリッジは、ストラト・タイプのシンクロナイズド・トレモロ、そしてピックアップはフロント/リア共にハムバッカーを装備していた。……とは言え、特に最初期の頃は細かい仕様は今ひとつ定まっておらず、生産国もまちまちで、中にはイレギュラーな東南アジア産FSRがあったり、シングル仕様が作られたり、トレモロも2点支持タイプのものから6スクリューのものに次第に変わっていったりしていたと言う。ただ、どの世代のモデルも一貫してボディにはアルダー材を用いていたこと、そして、ピックアップにSeymour Duncanのオリジナル・モデルを搭載していたことから、音質的には費用対効果の高さをアピールした実利優先のモデルであったことは間違いないようだ。実際に鳴らしてみたが、なるほど、サステインこそロング・スケールのような伸びはないが、確かに生で鳴らしてもボディが鳴る感触がある。ピックアップはダンカンらしいと言えばダンカンらしく、ピークが割れているが、意外にキメの細かいサウンドを放出してくれて、この値段のクラスにしてはパワーも申し分ない。アタックも派手に出るし、ちょっとブーミーなJBモデルといったところか。クランチで弾くと甘い部分もちゃんと残る。
Jazzmasterなどに比べてプリセット・トーン部分の回路を丸々省いたようなシンプルな配線ゆえか、意外に出音が速く、たっぷり歪ませても意外なほどハイ・ミッドが効いたガッシリしたサウンドを響かせてくれた。個体によってはややオクターブの合いにくいものもあったが、Jaguarタイプのブリッジように太い弦を張ってあっても弦落ちするようなこともなく、このままグランジやオルタナ系のミュージシャンが主力で使えるほどのポテンシャルがあると感じたほどだ。ただし、ミディアム・ジャンボ21フレット仕様でOKなユーザーに限られはするが。初心者用だけにはもったない、Jaguarユーザーのハムバッカー持ち替え用としても1本持っておいて決して損はしないギターだ。
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カリフォルニアのパンク・バンド「RANCID」、そのメイン・ボーカルであるティム・アームストロング氏のシグネチャー・モデルG5191BK。いぶし銀なパワフルさを象徴する冷めた溶岩のようなマット・ブラックのフィニッシュと、そこに差すゴールド・パーツの滑るような輝き。ここまでくると、もはや“理屈じゃない”というか、素直にイカツイ。本家ラインの廉価版に位置するElectromatic製とは言え、元となった本人の愛器である漆黒の74年製Country Clubの雰囲気が節々から香るのはさすがGRETSCHの名を冠するギターだけのことはある。
スケールは通常のミディアム・スケールに比べるとやや寸足らずな24.33インチ(618mm)だが、抱えて持つ分にはほぼその違いはわからない。まあ、このギターを求める人ならば、この1弦側のホーンに取り付けられたマスター・ボリュームを一目見て、これが椅子に鎮座したまま弾くギターなどでないことは常識の範疇だったに違いない。当然、ストラップを長くして80度の角度にギターを立てて構えた時こそ、その不思議と馴染むショート感がしっくり来るというものだ。そしてもちろん、音質という意味でも、そのスケールがもたらす絶妙のワウンド感というものは、ある意味既存のGRETSCHサウンドを打ち破っているといって良いだろう。ピッキングするたびに、ギラツキよりも野太さ、華麗さよりも単色の剛性が前面に押し出され、余韻の中で底に溜まっていくようなラウドな吐息をもたらすのだ。本来トレブリーなピークを持つフィルター・トロン・ピックアップが出音の重心をうまく下げ、大ボリュームの中でも鈍い光沢を持った鉈の一振りのようなクランチ〜リードを生み出してくれているのだろう。
それでも、高次の倍音は常に寄り添うようにアタックに追随し、メイプル・トップの硬質な響きをしっかりと残すのは、おそらくピックアップを挟むように配置されたパラレル・ブレイジング(トーンバー)の効果に違いない。全てのバランスがカントリーよりもロックに傾倒していて、素直にこのギターの本来あるべきポジションに収まっているといった印象だ。そのサウンドが、誰もが思う「“GRETSCHの音”か?」と問われれば確かに王道ではないかもしれないが、この見た目にこの音は問答無用でアリだ。ティム本人のように左手で弾けとまでは言わないが、とにかく先入観にとらわれず我が道のロック・サウンドを突き詰めたいならば、この独自のスケールを持ったGRETSCHギターという選択肢が今まで持ち得なかった新しいアイディアを示してくれるだろう。
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もはや語るまでもないThe Beatlesのジョン・レノン氏が手にしたRickenbackerの“2本目”──64年製「ジェット・グロー」フィニッシュの Rickenbacker 325を、現行のCシリーズ(復刻機)の中で再現したのがこの325C64だ。325とは、セミ・アコースティック(セミ・ホロウ)を意味する300シリーズのショート・スケール・モデルで、3ピックアップ構成であることと、ビブラート・ユニット付きであることを同時に示している。20.75インチ(527mm)という、現代のショート・スケールのイメージからするとかなり思い切ったスケール構成だが、これは特異なフォルムを持つRickenbackerの中でも例外とも言える規格で、見る人にかなり特殊なインパクトを与える。
ただ、通常のミディアム・スケールで構成される他の300シリーズや600シリーズに触れた後だと、このスケール感は、ギターをほぼ真横にして構える「椅子に座って弾く姿勢」に実に安定感をもたらすモデルだということがわかる。極端な話、あぐらをかいた姿勢でヘッドが水平より下にあったとしても、楽々プレイすることが可能なのだ。こういうギターはなかなかない。当時はGibsonの3/4ギターであるES-140があったこともあり、エクストラ・ショートやコンパクト・サイズのギターへの需要は確実にあったのだろうが、ダルマのようなボディ幅をそのままにしてネック・スケールだけをこれだけ極端に縮めようとした発想は、老舗のRickenbackerならではの挑戦的な試みだったと言えよう。むしろ、マンドリンに近いかもしれない。
ボディはメイプルだが、かなり薄い作りのホロウ構成なので特に重さを苦痛に感じることがないのは良いとして、音は予想通り圧倒的な特徴を備えたサウンドだった。元々300シリーズは中高域の強いハイトーンな出音だが、メイプルだとアタックまでがカリカリと硬質な音色になる印象だ。しかし、スケールのせいかその後に続く音色はルーズというかどこかボワっとした暖かな厚みを感じさせる。3基のトースター・トップのピックアップが全てシングルであることを考えると、ちょっと想像のつかない音だ。ストラトなどのハーフ・トーンやフェイズの入った音ともまた違う、硬質さとマイルドさが同時に放たれるような音なのだ。現代的でないという意味ではそうかもしれないが、歪みなどと一緒に使いたい場合は、このRickenbacker社独自のコントロールである「フィフス・コントロール(ブレンド=フロント・ピックアップにかかるトーン・ブースター)」を絞っていき、ロー・ミッドの存在感を増すようにしてやれば、現代的な歪みサウンドにもある程度は対応できるようになるだろう。ビートルズ・ファンのみならず、一度奏でてみれば、このギターがサウンドにおいても時代を超えた接点を有する優れた個体であることがすぐにわかることだろう。
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Paul Reed Smithのエレクトリック・ギターが採用する一般的なネック・スケールと言えば25インチ(635mm)。いわゆる「ギブソン=24.75インチ」、「フェンダー=25.5インチ」のちょうど中間に当たるこの絶妙のスケーリングが、PRSのギターにそれら大手2社とは全く異なるプレイアビリティとサウンドをもたらしていることは今さら言及するには当たらないだろう。
そんな独自路線を行くPRSが、2007年以降に満を持してラインナッップに加えることにしたのが、ネック・スケール24.5インチ(622.3mm)という全く新しい規格を有した「245シリーズ」だ。一般に言うミディアム・スケールの24.75インチに、ミリ換算にしてわずか6mm程度届かないこれを“ショート”と呼ぶのはいささか気がひけるが、それでも同社がトラディショナルなショート・スケール・ギターの持つサウンド──特にシングル・タップした際のマイルドな鳴りと、一方で、ミディアム・スケール・ギターだけが持つ無理のない弾き心地の両立を目指したことは明らかで、レス・ポールなどで馴染みのある22フレット/シングル・カッタウェイとのペアを堅守することで、ハードとして見事にショートとミディアムの中間と言う完璧なスタンダードを手に入れたことは一目瞭然だ。そしてさらに、PRSは、新設計のピエゾ(同社はLR Baggs社と共同開発したピエゾ・ピックアップ・システムをホロウ・ギター用のオプションとしてすでに採用していた)をソリッド・ボディの個体に内蔵した「Pシリーズ」だけが持つ、木材の特徴をダイレクトに引き出すあの特徴的なナチュラル・サウンドを、「245シリーズ」の温かみのある鳴りに加えることを思いつく。そうした経緯を経て2015年に新たに誕生したのが、このP245である。
その出音は、まさに、彼らの目論見通り、かつてのPRSサウンドにはなかった甘さと太さを兼ね備えた優雅なビンテージ色の強いサウンドに仕上がっている。ピエゾ・マイクの音とノーマルのピックアップ・サウンドは当然ミックスして出力することも可能で、アコースティック的な広域に広がるキラキラした倍音感を出音に加えることができるのも大きい。しかも、マグネティック側(ハムバッカー)に採用されているピックアップ58/15は、ボディのマホガニーとも非常に相性が良く、クリアで分厚いミッドとやや煙るようなハイ・ミッドのバランスが絶妙な、ど真ん中のビンテージ・スタイルを持っていて、個人的には、15インチなどの径の大きなコンボ・アンプか、もしくはダイレクトにPAに送った時の方がピエゾとのミックス・サウンドにうまく馴染むような気がした。ネック・シェイプは太めの“Pattern(旧:Wide Fat)”が選択されているが、スケールの違いからか25インチ・スケールのモデルの時ほど縦に張り出した感覚を受けない。むしろ、ギブソン的な感覚に近いグリップで握っていける。PRS独特のあの平べったいUシェイプのようなネック・シェイプが苦手だった人にもお勧めできる。
P245はまだまだタマ数も少ないので10Topクオリティの高品位なメイプル・トップが使用されている場合が多く、また、さらにアコースティックな“エアー”感を出音に追加できるP245 Semi-Hollowも少ない入荷ながら国内でもちらほら見かけるようになったことから、手に入れるなら今が良い時期かもしれない。……ちなみに、PRSは2016年にさらに微妙な24.594インチというスケールを有したモデルの一般ラインナップ化を開始している。彼らのネック・スケールによる新しいサウンドの追求は、今後もまだまだとどまるところを知らないようだ。
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英国の誇る偉大なロック・バンドQueenのギタリストであるブライアン・メイ氏の愛器、「レッド・スペシャル(Red Special)」。70年代以降、その世界にたったひとつしかないオリジナルに憧れて多くのメーカー、職人達が星の数ほどのコピーやレプリカを製造してきたわけだが、量産型の公認モデルとして現在も比較的入手可能なモデルの中から、コストパフォーマンスに優れたこのギターを紹介する。
このBrian May Guitars製The BGM Specialは、人気の高かったBurnsブランドのコピーを引き継ぐ形で、ブライアン・メイ本人、ギター・テックのピート・マランドロンと共に、ハウス・ミュージック・グループのバリー・ムーアハウスが協力して2004年にイチから作り直したギターで、なんとメイ自身もそのうちの1本を所有するというファンにはたまらない個体だ。安価ながら作りはこだわっており、本家レッド・スペシャルの代名詞ともいうべき24フレット/24インチ・スケールという、他ではまず見ることのできないネックの作りはもちろん、シリーズ接続された“Tri-Sonic(Burns製)”ピックアップ、6連スライド・スイッチ、ゼロ・フレット等、ファン心理をつく要素が盛りだくさんだ。さらに、チャンバー構造のマホガニー・ボディや、指板には色合いに個体差はあるもののエボニーが採用されるなど、この価格帯としては相当お得感のある仕様になっているのがわかる。ただし、サウンドに関してはピックアップのパワーがかなり足りないせいか、現代のアンプと合わせるには苦労することだろう。決してクリアなサウンドではなく、ざらついている上にアタックが先折れするイメージが常に付きまとうので、ギターのボリュームは思い切って上げられない。やはり本家と同じくトレブル・ブースター等の手を借りてオーバードライブ気味のアンプをプッシュしてやると金属質の光沢が出て良い感じに艶っぽい音になるだろう。
あとは本家とは全くテイストの異なるこのWilkinsonの2点支持式トレモロをどう見るかだ。もちろん、オリジナルのあのほぼアーム・ダウンしかできなかった独特の構造ではなく、フローティング・スタイルで演奏性は高いし、チューニング精度もまずまずではあるのだが、やはり、本家のようにブリッジとテイルピースが分離していないことは出音に大きく影響しているに違いない。それに、マウント時の構造上の理由でブリッジの位置がオリジナルよりもかなりネック側に寄っていることで、ピックアップの配置にも本家の設置位置とは微妙な差異が見て取れる。ゆえに、厳密なコピー・モデルを求めているユーザーにはやや物足りないことだろう。しかし、弾き心地といい、出音といい、トータルの完成度はかなり高いと感じた。雰囲気だけでもレッド・スペシャルの息吹を感じたい人にはルックスを含め十分楽しめる逸品だろう。……何せ、レッド・スペシャルをこれ以上正確にコピーするということは、あの不条理な“数々の不具合”さえも写し取る作業に他ならないのだから。
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渋谷にあるこだわりの箱ギター専門店ウォーキン(Walkin’)が展開するオリジナル・ブランド、Archtop Tribute。その完全に妥協を排した作りは、海外製の超高級ギターたちにもひけをとらない実用性を誇りながら、スタンダードであり、なおかつ最高のコスト・パフォーマンスを提供してくれることでも知られる。また、完全なメイド・イン・ジャパン製にこだわっているため、パーツひとつの選定から長期使用におけるサウンドの維持まで、その製品すべてが実に高い信頼性を維持している。
AT102 Jr.Classicは、GibsonのES−175を意識した「AT10〜」シリーズのひとつで、フル・サイズのボディを一回り小さくした取り回しの良さが特徴のモデルだ。ネック・スケールは23.5インチ。なんだか、ES-175をそのまま小型化したとされるES-140(ボディ・サイズはほぼレス・ポールと同じ)よりもむしろレス・ポールを弾いている様な錯覚に陥るその弾き心地は、本来のES-140のネック・スケールである22.75インチのそれよりもミディアム・スケールに近いネック・サイズをこのモデルが持ち合わせることに照らせば、その理由も自明である。本当に無理なく弾ける。サウンドはフロントのP-90タイプのシングル一発のみなのでバリエーションこそ多くないが、とにかく生音が“立つ”鳴りを備えており、このボディ・サイズにしてネックの底がビリビリするような高域の抜け感がある。単に発色がブライトなだけでなく、密度のある空気感がかなりクリアに出ているので、ダーティーに歪んだビンテージ・アンプで鳴らしても音の濁るイメージが全くしないのが素晴らしい。一瞬、P—90タイプのピックアップで鳴らしていることを忘れるほどに、音がスッと前に飛ぶ。これはやはり、このブランド独特の「Rich Presence Plywood」と名付けられたメイプル/スプルース/スプルース/メイプルという4層構造の材が、しっかりとアタックの高次倍音を抱え込んでくれるからに違いない。
また、塗装や仕上げも本当に素晴らしい。弾いて特に感じたのはこの指板の滑らかさだ。程良い滑りとしっとりと落ち着いた手触りに、思わずどこぞのカスタム・ショップ製のギターが紛れ込んだのかと値段を見直したほどだ。フレッティングの美しさといい、ネック・バインディングの丁寧さといい、左手のフィンガリングにおける健全さではどこを取っても一切文句の付けようがない。低価格な箱物エレキのイメージを一変させるこのクオリティを、スタジオで、リビングで、屋外で……常に近くに置いて楽しめば、値段以上の幸せを運んでくれるギターであることは間違いなさそうだ。
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常に柔軟な発想で、ギターの利便性とビンテージ・サウンドの両立に余念のないVanzandtから、スチューデント・モデルとしながらもそのハイ・クオリティで話題となっている圧倒的にクールな2機種を紹介。Bronsonは、Fender社が1967年から1981年にかけて発売したエントリー・モデルであるBroncoと、ミドル・クラスのMustangの構造を掛け合わせたようなギターという認識で概ね間違いはない。
元々BroncoとMustangは共通点の多い機種で、24インチ・スケールのMustangのネックとアルダー仕様のボディを共有していたほどであり、ある意味その融合は理にかなった(実際は廃物利用のようなものだが……)既定路線であると言っても過言ではない。ただ、例えそうだとしても、両機種は搭載していたピックアップがそもそも違っていたし、Broncoはリアのみの1シングル構造で、Mustangのような複雑なサーキットを搭載していたわけでもなく、例え同じ24インチ・スケールのモデルだとしても、搭載していたトレモロも異なる(Broncoは「スティール・ビブラート」と呼ばれる、この機種のみでしか使われなかったずんぐりした見た目で不人気だった独自のトレモロを装備。Mustangもまた専用の「ダイナミック・ビブラート」のみを装着していた)ことから、チャカチャカとした薄い音色のBroncoと甘く煙るようなMustangといったように、それぞれの音の傾向は全く違っていた。
そして、肝心のVanzandt製Bronsonと言えば、さらにそのどちらの音ともまた完全に異質なサウンドを持っているから驚きだ。ブリッジがプレートに固定されたシンプルな3wayタイプのものになっているからか、音にテレキャスのようなカリンとした硬質の主張が宿り、圧倒的に音に立体感がある。当然、トレモロはないのだからピッチもチューニングも安定し、弾きやすさという点でも申し分のない安定感だ。そして、何よりもこのモデル用に調整されシリーズ接続されたVanzandtの「FLAT-POLE」ピックアップによる、ノイズレスで、どのポジションからも湧き上がるような中域の突っ込み感を押し出せるこの気持ち良さが抜きん出ている。軽いイメージなどは全くなく、ただひたすらに素直で、どんなジャンルでもプレイに集中することができる音色なのだ。
Broken Arrowの方も同様で、Bronsonと同じ「FLAT-POLE」の恩恵をもろに受け、元になったFender Swinger(1969年にのみエントリー・モデルとして少数製造されたギター。ボディはFender Bass Vのものを流用し、ネックは他の22.5インチ・ネックを持つFender内のモデルのものを組み合わせていた。別名「Music Lander」、もしくは「Arrow」)というギターとは比べ物にならないほど高域の倍音の多いリッチなトーンとなっている。こちらは元ネタであるSwingerも同じようなプレート固定のブリッジであったためか音の傾向自体はよく似ていたが、Broken Arrowのネックが24インチとSwingerの22.5インチよりも尺が長いためか、よりピッキング時のエッジが立つ感じが明確で、セレクターをセンターに入れてシリーズ接続のパワフルな響きを生かしてやると、歪みサウンドと抜群の相性を見せた。BronsonもBroken Arrowも、見た目はチープなイメージだが、音はまぎれもない王道のトーンに磨き上げられている。ぜひステージに持って上がって、その見た目と音の落差で観客の度肝を抜いてみて欲しい。
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80年代ジャパニーズ・メタル・ファンには垂涎のFERNANDES BSV。84年から発売を開始したこのシリーズの中でも、44MAGNUMの広瀬“JIMMY”さとし氏モデルにあたるBSV-80J、そして、そのさらに上位クラスの本人仕様モデルBSV−155Jは当時憧れた人も多かったことだろう。80J以下のモデルとは一線を画すBSV−155Jのマホガニー・ボディはシリーズの看板でもある小型のシルエットに整形され、そこに24インチの1ピース・メイプル・ネックが付く。当時からデフォルトでフロント/リアともにEMG81が載っていたのも155Jだけだ。その輝くばかりのゴールド・パーツと最新式のフロイドローズ(スペック表記上ではFRT-7G。当時のフロイドローズはFERNANDESが製造をしながら国内の販売元を兼ねていたので、同時期のオリジナルFRTには「HEAD CRASHER」の刻印がされていた)によって純白の姿態を武装したその美しいギターが、今、30年を経て当時とほとんど変わらないスペックのまま新しいBSV−155として復刻されているのには実に感慨深いものがある。
蘇った実物を目の前にしてみると、やはりその吸い込まれるような妖艶さにまず目を奪われる。当時の仕様と大きく違うのは、トレモロが今のFRT-10になっていることとペグくらいか。肝心のサウンドだが、Vモノに限らず、意外なことにショート・スケールとEMG81という組み合わせは古今あまり例がないことに今更ながらに気づかされる。早速BSV−155に思い切って深めにピックを入れてみると、一瞬、テンションのゆるいギターに合わせた時のEMG特有のあのえぐるような粘っこい歪みを想像したが、実際の出音は思ったほどアタックが押し込まれることもなく、ストレートな印象だった。一方、クリーンだと巻き弦がナチュラルにギラつく感じは出てしまうものの、コンプ感は常に強めに感じることができるので、クランチ程度でも歯切れの良いテイストを維持したまま右手をとても楽にプレイさせることができるのも良かった。欲を言えばもう少しヘッドに角度があると全体のレスポンスも上がるのだろうが、このモデルが元々メタル・サウンドを基調としているため、そこまでこのギターでオープンかつシビアなトーンを求める人もいないだろう、という結論に行き着き納得。やはり、歪みまくったアンプをEMGのパワーでさらにプッシュして、ザクザク言わせた方がBSVの使い方として健全というものだ。
ただ、やはりこのスケールでは、例え太めの弦を張っていたとしてもダウン・チューニングでプレイするには多少ツラい面もあるので、その点のみ心しておくと良いだろう。手にした瞬間から一気に80年代のあの熱かった頃に返り咲けるこのアイテム……“歪み”を忘れたおじさん世代のプレイヤーはもちろん、実のところ、音楽に攻撃力を求める若い世代の女流ギタリストたちにもぜひ愛を持って接して欲しいと思える一品なのだ。
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1990年の発売以降、そのユニークなシルエットと豊富なバリエーションで今やFERNANDESの顔となった一大ロングセラー、ZO-3シリーズ。国内市場ではもはや敵なしとも言えるアンプ内蔵ギターの大本命ではあるが、そのラインナップ中に往年のベテラン・ギタリストもちょっと反応してしまう異彩を放つ容姿をまとったモデルがある。それが、ZO-3STだ。名前の通りストラトを意識した特徴を備えたギターで、このシリーズではあまり例のない、ボディ・トップの半分を覆うピックガードを装備している点にまずは注目したい。たったそれだけのことでも、ギターのデザイン自体にメリハリが出て、あれだけ見慣れたZO-3のまん丸ボディも新鮮に見えるから不思議だ。当然、ノーマルのバージョンではハードテイル仕様のはずのブリッジ部分も、シンクロナイズド・トレモロが装着されている。もしかすると、弦のゆるい24インチ・スケールのZO-3シリーズとは言え、アーミング時の弦同士のテンションのばらつきを回避するためにはプレーン弦側のチューナーを逆巻(なるべくナットから弦が垂直になるように)にするなど、一工夫した方が良い音になるかもしれないが、ひとまずプレイの幅が広がることは歓迎すべきだろう。
ピックアップは、ツイン・バーのシングル・サイズ・ハムバッカー、TB-3。こうなると出音の方も気になるところだが、こちらの方はおおむね予想通りの結果だった。スピーカーも昔に比べるとクリアになったが、やはりボリュームは5以上に上げるとかなり荒っぽく唸ってしまい、そのままDistortion Modeをオンにしようものなら環境次第ではボリューム7ぐらいで簡単にハウってしまう。ただ、クリーンで使った時の音は、内蔵アンプでも予想以上に良い。TB-3ピックアップは確かにハムバッカーの音なのだが、やはりフル・サイズのものよりもパワーがなく、その代わり、高域にレンジが固まっていてきらびやかな音質になりやすい。それがリア側に載っていることも幸いし、クリーンなまま適度に音量を上げて綺麗にカッティングしてやると、しゃくり上げるようなクランチがピークに引っかかって反転するたびに、ハムバッカーとは思えないほど透明な余韻をほとばしらせる。また、逆にDistortion Modeからボリュームを絞ってやった時の、ゴリッとしたマットなクランチもカッコイイ。TB-3は配線改造のみでスプリットできるはずなので、そのままシングルな音とはいかないまでもTB-3特有のコシのあるクリーンをタップした時の音色も気になるところだ。
ただし、あまりピックアップのパワーを小さくし過ぎると、今度はトレモロによって通常よりも空洞化した部分を多く持つZO-3STのボディ自体の構造がネックになって、音が中で“回って”しまうことも十分に考えられる。裏を見ると、通常ならば大きくてもボディの1/3くらいのサイズしかないはずのバック・カバーが、電池ボックス以外のほぼ全面を覆っている通り、この構造にトレモロを載せるということはそれだけ内面の材を犠牲にしているということなのがよくわかる。ZO-3STで内蔵アンプを使う限りは、いかに早く、この内部空間に干渉しないパワー領域をピックアップのレンジ特性から導き出せるかが肝になって来るだろう。ただ、それをおいてもこのルックスは楽し過ぎるので、むしろトラベル・ギターとしてよりも、ステージで箸休め的に外部アンプを使って悠々と鳴らしてやったほうが良い結果が得られるギターなのかもしれない。
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小さいのによく歪む。小さいのに音がでかい。「小さいのに」……それは、もういつしかPignoseにとって当たり前のことになり、もうその表現をあえて誰も用いようとしなくなって久しい。70年代、Chicagoに在籍していたギタリストのテリー・キャス氏らを中心に開発された唯一無二のポータブル・アンプの精神は、今尚、それと同じ名を持つギターにもしっかりと引き継がれている。
PGG-200は現行のPignoseがラインナップするアンプ内臓型のコンパクトなギターで、とかくサイズ面ばかりに目が行き「出音は二の次」的に評価されがちなこの種の製品の中においては、音質面において抜きん出た評価を持つことでも知られる。ひと言で言って、よく歪む。しかも、一般的なワン・ノブ・アンプにありがちな、大音量でドライブさせるとガラガラに音が割れて使い物にならないという類の歪みではなく、ちゃんと粒立った分厚いオーバードライブ〜ディストーション──しかも、ギター・サウンドにとって美味しいミッドの倍音感をきちんと感じられる出音を、たった10cmしかない内蔵スピーカーから何ごともなく放ってのけるのだから驚くばかりだ。本家のPignoseアンプのスピーカー径も約5インチ(13cm弱)程度しかないので技術的に同じように思うかもしれないが、地面に固定できない環境下で、ギターという楽器として十分に実用可能な重量配分やボディの厚みを達成した上でこの音質に達しているのは並大抵のことではない。裏のバック・プレートは格子状のオープン・バック構造になっていて、むしろギター特有の「後ろが平ら」というフォルムを生かして抜けの良い音作りに貢献する仕組みになっているのがわかる。裏通しとなっている弦の挙動も常に安定しており、装備されているマイクロ・ハムバッキングとの相性は抜群のようだ。
さらに、このサイズにしてオクターブ・チューニングが一発で合うのも見事というほかはない。24インチ/22フレットのショート・スケールでありながら、左手の運指の感覚はまさにミディアム・スケールのそれと同様の手応えを感じることができるのも大きなポイントのひとつだ。ボディの縮尺に比べ、ネック・レイアウトの圧縮を最低限に抑えているその構成を見るにつけ、ダウン・サイジングにおける持ち替え時の違和感を少しでも減らしたい、という製作者のさりげない気概が伝わって来る気さえする素晴らしい組み上げだ。よく言われるような座っている時の弾きにくさについてだが、横には構えず、琵琶のような姿勢で太ももの間にボディを立てて演奏するのが良いだろう。ちなみに、このギターはあらかじめスピーカー横のトリムをバック・プレートの隙間からドライバー等で回してやることで、音量と歪み量のバランスを任意にコントロールできる。かなり小さな音でも十分に歪ませることもでき、夜中に練習したいがヘッドフォンは鬱陶しいというような我儘なユーザーにとっても、この機能は非常に重宝することだろう。ボリューム・ノブに刻まれた“豚ッ鼻(Pig-Nose)”の刻印……生まれた時から「伝説」だったPignose。伊達じゃない。
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『ショート・スケール・ギター』特集、いかがだっただろうか。
こんなにスケールの短いギターばかりを集めて弾く機会など今までなかったことなので最初は戸惑ったが、結果的に非常に有意義な時間を過ごせた──というのが率直な感想だ。
近年はダウン・チューニングする機会が増えたこともあり、ロング・スケールのものに思わず手が伸びる日々が続いていたが、なんのことはない、ショート・ギターって全然悪くないじゃないか。とにかくどれも個性的、かつ実践的で、一度弾き始めると何時間でも弾いていたいと思わせるような機種ばかりだった。紹介した全てのモデルに、しっかりとそのスケールにしている明確な「意図」を感じられたのが、今回の最も大きな収穫だった。ある機種は音のため、またある機種はバランスのため、他にも様々な理由でそのスケールに至ったストーリーを思い描くことさえできそうなくらい、スケールというものはそれ自体がルシアーたちの大いなるメッセージなのだということを改めて感じた次第だ。
自分の思い出の中のショート・スケールのエレキ・ギターと言えば、友達が持っていたFender JapanのSTS-55Rとかいうネックの短いストラトとかかな。ずんぐりしてたんで“○○(自主規制)”って呼んでたっけ。申し訳ない。GuildのM-65なんかは良いギターだったなぁ。今回はデジマートの在庫の関係上リストからは省いたがVOXのApacheシリーズは結構遊べて楽しかった。
とにかく、左手の脇を閉めて弾く癖が一時的にとは言え付いてしまったくらい弾き倒したから、この感触を忘れないうちに1本買ってしまうかもしれない自分が恐ろしい。いや、古いZO-3ならすでにあるんだけどね。
……何はともあれ、Dr.Dの機材ラビリンス、5ヶ月ぶりに復活です!
数少ない待っていてくれた人たちも、そうでない人たちも、再び記事を読んでいただいてありがとうございました。個人的な諸事情で結果連載をお休みすることになってしまったにもかかわらず、それでもまたこうしてこんなマニアックな羅列ばかりを書き連ねる企画に場所を与えていただき、皆さんには感謝に絶えません。今回お休みをいただいてひとつだけわかったことは、人間、1日に30分だけでもいい……頭を空っぽにしてギターを弾く時間があるくらいでちょうど良いんだ、ということです。
今後ともDr.Dは全ての機材を自ら試して、原稿を書きます。何卒今後ともこのディープな迷宮の旅を改めてよろしくお願いいたします!
それでは、次回の『Dr.Dの機材ラビリンス』もお楽しみに。
今井 靖(いまい・やすし)
フリーライター。数々のスタジオや楽器店での勤務を経て、フロリダへ単身レコーディング・エンジニア修行を敢行。帰国後、ギター・システムの製作請負やスタジオ・プランナーとして従事する一方、自ら立ち上げた海外向けインディーズ・レーベルの代表に就任。上京後は、現場で培った楽器、機材全般の知識を生かして、プロ音楽ライターとして独立。徹底した現場主義、実践主義に基づいて書かれる文章の説得力は高い評価を受けている。