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アコースティック/エレクトリックともに、ギターのトップ・ブランドとして君臨するギブソン。永きその歴史は、プレイヤー達と共に築きあげた近代音楽の歴史そのものと呼んでも差し支えないだろう。伝統を踏まえながらも前進し続けるギブソン・アコースティック、その背景とは──。
ギブソン・アコースティック ブランド・ストーリー | ギブソン・アコースティック取扱いショップ・ガイド

19世紀まで遡るギブソン社の起源

L-5

▲ギブソン社初期の代表的モデル、1934年型のL-5(復刻モデル)。トップ面のアーチがよくわかる。

 ギブソン社の創設者であるオーヴィル・ヘンリー・ギブソンは、1856年にアメリカ合衆国ニューヨーク州にて誕生した。やがてマンドリン製作家となったギブソンが1894年にマンドリン製作工房をミシガン州カラマズーに立ち上げたのがギブソン社の起源である。会社として本格始動したのは1902年、しかしその時点では楽器販売会社であった。

 やがてギブソン社はアーチトップ・ギターの製造を開始するが、フラットトップ・ギターの製造は1926年からである。現代でこそアコースティック・ギターといえばフラットトップが主流だが、ギターが主に室内音楽に用いられていた当時は、アーチトップがスタンダードであった。ギブソン社初期の代表的モデルはアーチトップのL-5であり、このモデルの成功によってアーチトップ・ギターにおいてはすでにトップ企業となっていた。

 やがてフラットトップ・ギターの製作が本格化し、1928年には当時の人気ミュージシャンであるニック・ルーカスのアーティスト・モデルが発表される。現代ではアーティスト・モデルは一般的だが、ギブソンはその先駆けであり、世界初である。このあたりは、かつて販売会社だったブランドならではの発想なのかもしれない。

現代のスタンダードとなるモデルを続々と発表

J-45

▲写真はJ-45。ギブソン・アコースティックギターの中で最も代表的なモデルと言えるだろう。

 さらに1937年には、ウエスタン映画の人気俳優であるレイ・ウィットリーのためにSJ-200が製作された。このモデルは翌年にはフラッグシップ・モデルとして販売開始され、プレイヤーからは“キング・オブ・フラットトップ”と呼ばれるほどの支持を獲得する。第二次世界大戦の影響で一時は生産が中断されたものの、1947年にモデル名がJ-200と変更されて再登場し、そのまま現在に至っている。

 1942年に発売されたJ-45は、現在まで途切れることなく生産し続けられているギブソン・アコースティックの代表機種である。型番のJはジャンボの意味で、大型ボディで人気を集めていたマーティン社のD(ドレッドノート)シリーズに対抗するように登場した。J-45のボディはラウンドショルダーと呼ばれるスタイルで、ボディの肩のラインが“なで肩”のように丸みを帯びていることから名付けられた。なお、Jシリーズには45以外にも35などがあるが、この数字は当時の定価であり、J-45ならば45ドルであった。Jシリーズの最高機種にはSouthern Jumbo(サザンジャンボ)のモデル名が与えられ、1943年に登場。グレードの高い材質や豪華なインレイなど、高級感あふれる仕様で人気を集めた。

 現代ではエレクトリック仕様のアコースティック(通称エレアコ)は珍しくないが、ギブソン社はその先駆的モデルを1950年代から発表している。現代のエレアコとは異なり、ボディのトップ面にエレクトリック・ギター用のピックアップをマウントする構造だが、1954年に発表されたJ-160Eはビートルズのジョン・レノンが愛用したことで注目を集め、現代においても多くのプレイヤーから求められるモデルとなった。

 1950年代のギブソン社は、レス・ポール・モデルを筆頭にエレクトリック・ギターの市場で飛躍的な成長を遂げた時期である。1957年にはCMI(シカゴ・ミュージカル・インストゥルメンツ)の傘下となり、事業はさらに拡大していった。そして1960年、Hummingbird(ハミングバード)が新たにラインナップに加わる。ボディはスクエアショルダーと呼ばれるスタイルで、ラウンドショルダーとは逆に、肩がやや張ったようなデザインである。続いて1962年には同じくスクエアショルダーのDove(ダヴ)を発表。なお、HummingbirdやDoveなど、型番ではなく名称を持つモデルが多いのもギブソン・ギターの特徴と言えよう。

迷走、そして復活──現代へとつながるブランドの誇り

D-42

▲すべてのギブソン・アコースティックを製造するモンタナ工場。

 アコースティック/エレクトリックともトップ企業となったギブソン社だが、1969年にノーリン社に買収されてからは状況が激変する。それまでカラマズーで伝統的に作られてきたギブソン・ギターだったが、製造工程の機械化と大量生産化のため、ナッシュビルの新工場への移転が決定。それは、転居に対応できない職人達を残していくことでもあった。その後、長らく続いたカラマズー工場は閉鎖される。ギブソン・アコースティックの歴史においては迷走期と言えよう。

 しかし1985年、現在の経営陣がノーリン社からギブソン社を買収したことが転機となり、アコースティック/エレクトリックともに“古き良きギブソン・ギター”が甦る。新体制となったギブソン社は、良質なマンドリンを製作していたフラットアイアン社を買収し、同社の工場をギブソン・アコースティックの新たな拠点とした。現在まで続くモンタナ工場の誕生である。ナッシュビルの工場はエレクトリック・ギター用に引き続き運用され、新たなスタートを切ったギブソン社は、高い品質と伝統性を保ちながら、時代に合わせた新モデルの開発にも積極的に取り組み始めた。

 モンタナ工場からの出荷が始まったのは1989年。カラマズー工場などから運び込んだ伝統的な製作機具と現代的な技術をミックスさせて製作されるアコースティック・ギターは、厳しい品質チェックを経て今日も世界中に送り出されている。職人の手作業による工程が多く残ることから1日あたりの生産本数は50本程度と決して多くはないが、だからこそ、すべてのギターが“ギブソン・サウンド”を宿しているのだ。

圧倒的な“鳴り”で世界のスタンダードとなった
ギブソン・アコースティックの代表的モデル

 ここでは代表的なモデルにしぼって紹介するが、これらの他にもブルーズマン御用達のモデルやカッタウェイが施されたモデル、アーティスト・モデルなど、幅広いラインナップが用意されている。ぜひ実際に触れて、その確かな作りとギブソンならではの“鳴り”を体感してほしい。

 なお、記述にあるボディ・サイズの数値は、ボディ外周が最も広い部分(ギターを立てた状態でブリッジ下方あたり)の左右幅である。自分に合うサイズのギターがきっとあるだろう。

J-200(SJ-200)

 発表当時の型番であるSJは“スーパー・ジャンボ”を意味しており、そのボディ・サイズは実に17インチ(431.8ミリ)を誇る。ネックには25.5インチ(647.7ミリ)のロング・スケールを採用し、野趣あれふる豊かな鳴りとゴージャスな存在感でプレイヤーを魅了する。

J-200

▲ギブソン・アコースティックのモデル中、最大のボディ・サイズを誇る。

J-45

 ネックは、いわゆるギブソン・スケールの24 3/4インチ(628.6ミリ)。16インチ(406.4ミリ)幅のボディがもたらす、たくましくラウドな鳴りは、ギブソン・アコースティック・サウンドの代名詞とも言える。シンプルで質実剛健なイメージも人気のポイントだ。ナチュラル・フィニッシュのモデルは型番がJ-50となり、こちらも定番。

J-45

▲幅広い用途に対応する最もスタンダードなモデル。

J-160E

 シンガー/ソングライターにも人気のこのモデルは、ピックアップのスペースを確保するためにジョイント位置が15フレットとなっているため、音色も一味違う。なお、ピックアップを持たないJ-160は、ビンテージ市場でレアな存在である。ネック・スケールは24 3/4インチ(628.6ミリ)。

J-160E

▲写真はJ-160Eを愛用したジョン・レノンの生誕70年記念モデル。

Hummingbird(ハミングバード)

 ネック・スケールとボディ幅はJと同寸だが、ショルダー部の違いで印象が大きく異なる。ピックガードに施されたハチドリ(=ハミングバード)のイラストがポイントだ。ボーカリスト用ギターとしてデザインされたとも言われており、やや甘く繊細なトーンが特徴。

Hummingbird

▲ハニー・トーンと呼ばれる独特なトーンを持つモデル。

Dove(ダヴ)

 ハミングバードと似たデザインだが、25.5インチのロング・スケールのネックを持ち、ボディ材も異なるため、音色は特有のもの。ピックガードの彫刻イラストはハト(=ダヴ)だ。発表当時はブリッジにエレクトリック用のチューン・オー・マティックが採用されていた。

Dove

▲1962年に発表されたモデル。ハトの彫刻イラストが美しい。

 

 

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