本連載コラムを担当します森ヨシキと申します。私はFINEWOODという楽器用材を中心とした珍木、珍杢材のセレクトショップを運営しておりまして、しばしばアコースティック・ギター・マガジンやウクレレ・マガジンにも“木がらみ”の記事でお世話になっております。そんな折、“おい、ウェブにもなんか書けずら”というご下命をいただき、僭越ながらこの場でヨレた駄文をご披露することになった次第です。
よくよく知られる“知られざる世界”
言い訳がましいのですが、私は木工家でも楽器ルシアーでもないので、音の特徴や加工性などについて評価・考察してもそれは無意味なのでここでは書きません。いや書けません。また、学術的研究家でもないので、どこにでも書いてある木の比重、物性、産地などの基本的な情報についてもお話することはありません。
よって私が書くことは自らのつたない経験から知り得たニッチな事柄(大抵はどうでもいいこと)中心となりそうです。おまけに文字数に行き詰まった時は人から聞いた話を、さも自身が体験したことのように書き、そしてそれでも足らない時は、どこからか真面目な情報をコピペ、切り貼りしてくる可能性が多分にあります。どうか、いつの時も優しく遠い目で見てやって下さい。あっ、それと“知られざる世界”……そんな世界、ありませんから。知られたことでも、こんな風に見ているヤツがいるんだなという意味でとらえていただければよろしいんじゃないかと思います。
木ばなしを始める前に唐突ですが、世の楽器好きは大きく2つのタイプに分かれるような気がします。一方は、楽器を音楽の純然たるツールとしてとらえる方、他方は、楽器自体がモノとして好きな方。
前者は、メーカーやパーツ/スペックそしてその材質などの情報にさして興味がありません。それよりもいかに自分の声に合っているか、弾きやすいか、好みの音か。そんな真っ当なことを大切にされます。ゆえに手持ち楽器の更新は少なく、ひとつの楽器を長く愛用します。ところが後者は、いわゆる“スペック・フェチ/コレクション・マニア”などと呼ばれる方々。新製品、新素材、新加工、カスタム・ショップ、カスタム・オーダー、限定、復刻などという言葉に目がなく、常に人とは違うモノを求めて楽器店、専門誌、同志ブログなどを徘徊されます。そして何かしら理由をこじつけ自分へのご褒美を日々奮発してしまいます。私のような仕事をしていますと、後者タイプの方にお会いする機会が圧倒的に多いわけですが、このタイプの方々の情報収集力、知識量はすさまじく、私などは教えられることばかりで、いつも自分の不勉強さを痛感してしまいます。
このコーナーでは、そんな勤勉?な方にはもちろん、前者タイプの方にもご興味をいただけるような内容を提供したいな、これが私の所信表明であり、不退転の決意であり、そしてたった今、思いついたことなのであります。
ブラジリアン・ローズウッドがやってきた日
さて、記念すべき第1回について、テーマを何にしようか、三日三晩寝ずに悩もうと思ったのですが、寝る前に数秒で決まってしまいました。やっぱ、トーンウッドの王様、神木ブラジリアン・ローズウッド様以外に思い浮かびませんでした。この木なら前述のどちらのタイプの方にも受け入れてもらえるでしょうしね。
ブラジリアン・ローズウッド(楽器業界ではこの材を“ハカランダ”と呼ぶことが多いですが、まったく別種で同じ名前の観賞木も存在しますので、ここではあえて英名で呼びます)というとまず、“希少”“絶滅危惧種”“資源枯渇”などのワードが叫ばれます。いつからそのような時代になったのでしょうか? 日本人がこの木の存在に気づいた時、すでにそうだったのではないかと思います。ここに興味深いコラムがあります。
日本経済新聞 昭和55年9月19日、“男のロマン”シリーズに掲載された某木材会社会長さんのお話です。この方がブラジリアン・ローズウッドに出会ったのは昭和35年(=1960年)のこと。ある商社から“こんな木をブラジルから輸入したが、使えないだろうか?”と持ち込まれたのが最初だそうです。
自称“木馬鹿”の会長さん、早速その木にツバをつけ杢目を見てみました。“金褐色に赤紫の細い縞の入った地肌、光線のようなフラッシュや入道雲、くじゃくの羽、筋肉などに似た美しい模様が素晴らしいので、すぐに産地や用途を調べ始めました”。
調べて見ると、ブラジリアン・ローズウッドはヨーロッパに数百年前から輸入されて“木の王様”と言われ、ベルサイユ宮殿に残されているルイ14世のベッドとイス、ブラジル大統領愛用のピアノ、最近は家具の他にギター、自動車のダッシュボードなどの超高級品に使われているのがわかったそうです。この木に憑かれた会長さん、その後ブラジルへ通うようになり、現地の山歩きを始められます。
南米ジャングルを空から陸から攻められたようですが、毒へビ、毒ぐも、毒さそりなどに襲われそうになるなど、随分危険な目にも遭ったと語られています。そんなリスクを冒しても思うような木に出会えるのは3回に1回だったとか。のちにこの会社はブラジルに現地法人も設立されます。この木だけでなく、ブラジルという国そのものにも魅せられたんでしょうね。
主に装飾用の突き板を製造されている会社ですが、当時は少なからずソリッド材でも供給されていたようで、数年前、私もその残りを少量ですが幸運にも扱うことができました。素晴らしい材なのは言うまでもありません。孔雀の筋肉が金褐色に輝き、入道雲の隙間から光線のようにフラッシュが差し込んでいました。ひょっとしたら、商社は他の木材会社にも持ち込んでいたかもしれません。しかしながら、その美しさにいち早く気づき、国内でブラジリアン・ローズウッドを広く流通させたということでは、この会長さんのお話、信憑性は言うに及ばず、私にとっては“世界の果ての通学路”以上の感動ストーリーでありました。商業材として日本国内で流通し始めたのは、この昭和35年頃ということでほぼ間違いないのではないでしょうか。
どんな希少木でもそうですが、ブラジリアン・ローズウッドもほんの数世紀前までは豊富に存在していたはずです。今では考えられないことですが、現地では建材(写真参照)としても多く使われていました。
教会や納屋、住宅、橋などの建造物にです。日本で杉やヒノキ、ケヤキなどが使われるのと同じ感覚なのだと思います。そういった材のほとんどが、建物の寿命とともに解体され灰になったでしょう。しかし現在、この木の価値を理解する人たちによって、その中の一部が再利用されています。このような“リクレイム材”は楽器用や突き板として大変価値の高いものとして重用されています。なぜなら、解体される建物というのは建てられてから少なくとも数十年、場合によっては百年以上経過しているものもあるわけです。そんな時代の材はおしなべて樹経が太く、長く、そして野趣に富んだ木味(きあじ)を持つ実生木(種から発芽し自然に育った自然木)がほとんどだったのではないかと思うのです。
今ではすっかり希少木の代名詞にもなり、おかげでさまざまな木がその代替材として輸入されてきました。代替材については別途紹介させていただきたいと思うのですが、代替材が増えてくると必ずこんな問題が起こります。“杢や色、比重などが似た材の登場によって、ブラジリアン・ローズウッドか否かが判別しにくくなる”。
そんな時私は、材が放つ香りを重要視します。産地や伐採時期、個体差、製材後の養生環境によってその強弱レベルにこそ差はありますが、ブラジリアン・ローズウッドには一貫した“香り”があります。100年以上前にヨーロッパに向けて船で運ばれる途中で沈んでしまい、後年引き上げられたという材にもその香りがしっかり残っていました。
香りにまつわるエピソードとしては、こんなこともありました。自然豊かな環境でウクレレを製作されている工房におじゃました時のこと、天気が良かったので外で材をいろいろ紹介していたのですが、蜂、アブの類がぶんぶん集まってくるのです。それも皆ブラジリアン・ローズウッド(薄くスライスした板材ですよ)の周辺にです。虫コナーズならぬ、虫ホイホイ現象は実に貴重な体験でした。
ブラジリアン・ローズウッドの明日
最後にこれからのブラジリアン・ローズウッドにつきまして。もはや国内では限られた流通在庫でしか入手出来ないというのは言うまでもありません。厚材、角材はおろか、薄板材でさえ楽器材として使えるグレードは限られ、その価格がますます高騰しそうです。そしてそれらを使い切った時、資源は完全に枯渇してしまいます。と、ここまでは誰でも考えることですが、ここからを聞いて下さい。私はそんな時が来ることを黙って指をくわえて見ていることができません。そうです、自力でブラジリアン・ローズウッドを栽培することにしました。街路樹のハカランダじゃないですよ、Dalbergia nigraです。三代後くらいにはそこそこの木に育つのではないかと願い、種から蒔いて育てております。
しかし三代後にもなると、地球上の木の分布は大きく変わっているでしょうね。特にトーンウッドの類は……。
ブラジリアン・ローズウッド・ネック
PRSからは、ブラジリアン・ローズウッドをネックに用いた贅沢なモデルも出ていました。手に吸い付くような半端ないしっとり感、チャンスがあればお試しください。 [この商品をデジマートで探す]
次回は“赤い宝石/マホガニー”をお届けします。また見てね、んがぐっぐ。